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満州生まれの父親とシベリア抑留された祖父達の話

そうそう、僕の実父は満州にいる時に生まれたそう。

1944年生まれの父は、1945年の太平洋戦争終戦時は1歳。
(2022年1月12日現在、父は健在です。要介護状態ながら…)

ちょうど祖父母達が満州に移住してるタイミングで生まれ、
すぐに終戦になって満州はソ連が侵攻。

命からがら帰国したとのことだと思います。

そのエピソードを個人的な備忘録として残しておこうかと。

満州 引揚げ
(上記はネット上でアレした満州引揚げ関連の画像也)
満州からの引揚げの様子は、上記のような感じだったでしょうか・・・?

実父は1歳だったので当然覚えてないと思いますが、
実父の姉(だいぶ高齢ながら)が健在で元気で、
よく話をしてくれるので満州から引き揚げた話をチラッと聞きました。

「叔母さんがお父さん抱えて命からがら帰ってきたっちゃお~(博多弁)」
(叔母さんは、福岡在住で博多弁全開の元気なお婆さんです。)

とのこと。

僕が子供の頃は、
満州がどうしたとか戦争はどうしたとか聞く雰囲気は家庭になく、
その手の話は深く聞きそびれて今日に至ります。

今度実家に帰った時に、聞いてみようかと思ってますが。
実父は要介護でほぼ寝たきりながら…

2021年12月31日に好きな歌手「森田童子」の出生に関する本「血の歌」が発売になり、読みました。

更には、
その関連の本と言える小説なかにし礼「兄弟」も読みまして。

なかにし礼氏は満州で生まれて日本に引き揚げされ、
その兄中西正一は戦争いって無事復員されたとのことで。

僕の父親及び兄弟、祖父母と被るなぁと思って僕も記しておこうと思った次第です。

満州生まれの父と家族

僕の実父は、1944年生まれので1945年の終戦時は1歳でした。

僕の祖父母(父の親)は満州に役人として行っていたそうです。
(何の仕事か未確認ながら、満州いくと戦争に復員しなくてよかったそうです。)

で、
父が満州で父が生まれ、姉が二人おられました。

日本が敗戦して終戦した後の満州は、ソ連軍の進行やらで阿鼻叫喚の状況だったようです。

ここら辺の状況は本「なかにし礼「兄弟」」で読みました。
かなり壮絶。

僕の父と姉二人も、命からがら引揚げたんだろうと思います。

ここら辺の話は、
また叔母さん(父の姉)に会ったら聞いてみたいな、と。

以下、ネット上にあった満州引揚げの画像。
満州引揚げ帰国
叔母さんや祖母も、こんな感じで日本に戻ったのではないだろうか。

そういえば、
中国残留孤児のニュースがよくテレビでやってた頃、
よく両親、叔母さん達の間でなんやかんや話になってるのを思い出します。

一歩間違えば、父親も叔母さん方も中国残留孤児だったわけですから。

満州からシベリア抑留された祖父達

僕の祖母とその兄弟は、満州からシベリア抑留されたと聞きました。

数年間、日本に帰ってこなかったそうです。
逆に言うと、数年後に日本に帰国したそうで。
(実母の話によると、5年間だったそうです。)

祖父は9人兄弟の長男とのことでした。
(母親は何人か違うようです。この時代はよくある話だったようで。)

兄弟の何人かが満州にいて、
(僕の記憶の中では)祖父含む3人くらいがシベリア抑留されたとのことでした。

東京青梅市にその祖父の兄弟(大叔父)が二人おられて、少し話を聞いたこともありました。
「わしは坊さんだから戦争いかんかった」とのこと。

(青梅市の大叔父はお兄さんの方は今は亡くなられています。坊さんだった大叔父はご健在!)

母親や叔母さん方に祖父達のシベリア抑留の話を聞くと、
「(祖父達は)あんまり喋られんかったよ」とのこと。

そりゃそうか。

帰国後の生活は…

満州から日本に引き揚げて、島根県で僕の祖父母・父親は生活を。

おそらく元々島根県にいたんだと思います。
昔ながらの古い家も当時はありまして。

祖父は役人をしていたそうで、
祖母は隣町で商売(小売店)をはじめたとのこと。
(その小売店は実母によってなんと現在も継続中。)

なかにし礼の本読んでわかったが、
満州で日本人はかなり裕福な暮らしをしていたようで。

もしかしたら祖父母も満州でいい暮らしをしていたのかと。

それに倣って、
帰国してからも「うちは名門」的な意識が残ってたんだろうな、と思った。

(僕は子供の頃に母親に「うちはいい家だから…」と選民思考気質のことを言われ続けてトラウマでした。)

そんなことを言われるのに、買ってもらった野球グローブは超安物だったりした。
しかもそのグローブを「高級品のグローブだ」と渡すあたりが…

実家は貧乏ではなかったが、かなりの貧乏性ではあった。
(今はそんな価値観を感謝してはいるが)

そんな実家の選民思考気質は、
満州疎開してた時に植え付けられたもんなんだろうな、と思った。

母親が「うち(父親の家柄)は、元々はお手伝いさんとかいるような家だった」とよく言った。
そりゃ島根でもいたかもしれないが、満州での日本人はみんなそんな感じだったようで。

僕が子供の昭和の頃は、
あまり大人は詳しく話してくれなかったし、
詳しく聞いちゃいけないような空気感があった。

島根平田市の柿木

令和3年2022年の今、
森田童子から始まって古い本読んでようやく父親のルーツに辿り着いたという。

なんとも不思議な因縁を感じています。

また話聞いて追記しようかと…

たまたま「なかにし礼」の本読んで、父親の満州話を思い出してこの投稿書いたわけで。

今度叔母さんにあったら、満州話をまた聞いておこうと思う。
(2022年8月に法事で会う予定あり)

そんな感じです。

その後、父も亡くなりまして…

2023年6月某日に、ずっと寝たきりだった父が亡くなりまして。

相続やら諸々の手続きの際に出生の戸籍謄本やらを取りまして。
ガチ満州生まれだったことが、改めて。
満州生まれ
「満州国錦州省綏中県綏中街」生まれとのこと。

現在の地図だと、以下のあたり。
満州国錦州省綏中県綏中街

中国の北東部っすね。
三国志でいうと、幽州で初期だと公孫瓚の領土。

 

実父は4兄弟3番目の長男で、実父までが満州で生まれたそうです。

いやぁ、本当に中国残留孤児にならなくてよかった。

頑張って引き上げ帰国した亡き祖母、ご健在の叔母さんお二人にも感謝です。

近い内容の映画や本読んだりして、壮絶さを感じていますが

シベリア抑留のことを描いた映画って、意外と少ないようです。
本は多そうですが。

以下、それに近い関連の映画や本のことを。

強制収容所に抑留されて、強制労働させられる話は世界中にある感じで。
過酷な状況を現実のものとして認識しておきます。

コメント

  1. なかにし礼「兄弟」とか読んで、
    僕も実父の感じやら祖父母の感じやら思い出して、
    かなりリアリティを感じたわけです。

    そりゃ昭和の時代性も随分あったと思いますが、
    戦後の時代に両親や祖父母、叔母さん達が、
    どんな意識で生きてたかを改めて考えさせられるタイミングではないか、と思うわけです。

  2. 急に思い出したから書くが、
    母親が「うちの曾祖父の代も、株で損して土地をだいぶ失ったんだよ」と言っていたことがある。
    僕のプロフィールページでも書いている)

    曾祖父の代となると…
    祖父が家族及び兄弟たちと満州に渡っていたので、
    その更に上の代ということで。

    ということは、満鉄(南満洲鉄道株式会社)の株とかそういう時代の株式で損したということか!とふいに思った。

    そりゃ時代背景的に大損するわなぁ。
    日本は戦争で負けて全部パーになったわけだから。

    そりゃ株で大損というよりも、根本的な話だな。

    ということをこのこと見て急に思ったのでメモ代わりに書いておく。

  3. 一家6人、満州から日本目指し引き揚げ 略奪や虐殺…止まらぬ涙 群馬・下仁田の佐藤和江さん 
    https://www.sankei.com/article/20170815-MYOXBZ5OIZKUHBKX5ZTEWQFYII/

    こんな感じだったんだろう。
    壮絶だな。