記事内に広告がある場合もあります。

クンドゥン(ダライラマ14世の半生伝記映画)の感想を

ネットで映画が見れるVODサービス使って、映画「クンドゥン」を見ました。

凄く良かったので、備忘録的に感想を書いておきます。

以下、「クンドゥン」ブルーレイのアマゾン通販ページに飛ぶ画像リンクです。

アマゾンのページには、レビュー口コミも載ってるんでよく見ます。

「クンドゥン」は、チベット法王・ダライラマ14世の半生を描いた映画で、
ほぼ実話に基づいた内容になってます。

以下、簡単に映画詳細を…

  • タイトル:「クンドゥン(Kundun)」
  • 監督:マーティン・スコセッシ
  • 出演:ダライラマの親戚の方など、亡命チベット人の方々中心に
  • (役者・俳優でなく殆ど素人の方々の出演でこのリアリティーは凄い! 嘘みたいなホントの話。)

  • 米国での映画公開日:1997年12月25日
  • 中国がチベット独立政府を認めていない関係上、映画公開に様々な圧力があったそう。
    撮影ロケも当然(当時から現在までも中国が自国と主張する)チベット内で行えず、モロッコで行ったとのことで。

kundunlama
チベットの風景をイメージした景色が素晴らしいです。
(撮影地はモロッコとのこと。)

映画「クンドゥン」の感想

ダライラマ14世のチベットからインド亡命までの半生を描いた映画とうことで、
ダライラマ14世の幼少期から青年期19歳でインドに亡命したところまでの内容。

チベットの当時の文化や感じがよくわかります。

kundun
映画の中のチベットのような風景(撮影はモロッコとのこと)も、壮大で素晴らしい感じで。

個人的にはチベット仏教と化身ラマの名跡「ダライ・ラマ」の継承が、
チベット自体でとても大事にされているのが印象的。

仏教国というか、信仰が民衆にとって大事な基盤にあるのが改めてよく伝わってきました。

日本だと信仰・宗教は自由でフランクですが、アジア・イスラム圏あたりは宗教・信仰が根強い文化ですし。

クンドゥンの映画中では、中国の侵攻を避けてインドに亡命する旅路が印象的でした。
以下はインド国境付近に到達したところ。
kundunindia
若い眼鏡姿の方がダライラマ14世。(19歳でのインド亡命時)

この「インドへの脱出」シーンでダライラマ14世がナレーションで語るんですね。
それがまたなかなか僕に響いてます。

以下、その語りです。

悟りに到達されたみ仏
み仏に従う者たちの魂に祝福を

手を合わせ 全宇宙のみ仏に祈る
光を掲げ 闇に迷っている者を導きたまえ

手を合わせ み仏に祈る
この世を去らず 未来永劫 留まりたもうて 世を暗黒から救いたまえ

敵は やがて無になり
友も やがて無になり
私も やがて無となる
そしてすべてのものが いつか無になる

この世の喜びは いずれ夢のような思い出となる
過ぎ去った過去は戻らない

私は自由なきものに自由を与え
縛められているものを解き放ち
救いなき者に救いを与える
そして彼らを涅槃に導く

み仏は汚れを水で洗い流すことはなく
苦しみを手で取り除くこともされず
悟りをただ下されることもない

人は真理の教えを経て悟りに到達する
真理は究極の現実

今までの行いにより積み重ねた徳の力で
生きとし生ける者の苦しみが消えることを

私はただの男 仏に仕える1人の僧
私は月の影 水面に映る月の影
善を行い 自己に目覚める努力をしている者

 
サントラCD聞きながら、この語り文を自分でも見返してます。

実話に基づく内容

映画「クンドゥン」は、ダライラマ14世のインド亡命までの実話に基づく内容ということで…
実際にチベットであった悲惨な状況を思わせる描写がでてきます。

ダライラマ14世一行をインド国境まで送り届けたチベット人たちの行く末は、ダライラマ14世の目には以下のように映ったという描写も…
kunduntami

以下、ダライラマ14世が見たとされる夢の中の描写で…
kundun sou
多くの僧侶が、ダライマラ14世の周りで血を流して死んでる描写ですね。

実際のチベットのその後の状況は、インターネット上で調べてみるとわかります。
この映画の描写以上に、悲惨な状況が現在も続いているようで。

現在の日本からだとなかなか信じられないような悲惨な話ですが…

kundun14
ダライラマ14世はインドに亡命後、現在もチベット、ラサに戻れてない(足を踏み入れられてない)という現実ですね。
チベットは中国領になって、自治区扱いになってますし。
ダライラマ14世は中国としては反逆者として国際的に要注意人物として警戒してる状況ですし。

以下は、映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」のラストシーンのテロップ。

「中国の侵攻で100万のチベットの民が死に…」


「6千の僧院が破壊された」とのこと。

「セブンイヤーズインチベット」もダライラマ14世役が登場する事実に基づく映画で、
Kundunと同様の時期を描いたものであるので、このリアルなテロップは重いです。

 

砂の曼陀羅を作って壊す修行

「砂の曼陀羅」が出てくるんですね。

それを作って、手で壊して、河に撒く。
そんな修行があるみたいです。

「砂の曼陀羅を作って、壊す」
sandmandara 砂の曼陀羅
こんな立派で大きな砂絵の曼陀羅を時間をかけて作るわけです。

多くの僧侶たちが、時間と手間をかけて砂の曼陀羅を作っていくわけです。
kundun mandara

どんな意味があるのかわからなかったんですが、
クンドゥンの映画レビューで、以下の投稿を見かけたんですね。

「砂絵は一瞬にして崩れるものだけれども、
砂絵を描いた時間はなくならない。

無常観を理解するには、今からかなりの修行が必要だ……。」(アマゾンレビューから引用)

ああ、そういうことなんだ、と僕もようやく理解。

時間と手間かけて作った砂の曼陀羅を、
自分たちの手で壊して河に撒くまでが修行ということで。
kundun sand mandara
(チベット仏教「カーラ・チャクラ」による「破壇の儀式」とのこと。)

「諸行無常の教えの象徴」とのことです。

「この世の喜びは いずれ夢のような思い出となる 過ぎ去った過去は戻らない」
そういう意味だったんだなぁ、とようやく。

出演者のリアリティーがすごかった

チベット人なのにセリフが英語で違和感ある、という感想も見ましたが、
そもそも英語もあんまり聞き取れない僕には字幕を追うので精一杯。

出演者の方々の表情や語り口(シンプルな英語で何となくわかるくらい)は、
僕にはとてもリアリティーを感じさせるものでした。

これをプロの俳優がやってるということでなく、
亡命チベット人の方々が出演されているという謎の状況。

こんなリアリティある作品を、どうやって撮影したのだろう…?
謎です。

あと、ダライラマ14世の青年期の俳優さん(ダライラマ14世の実際の甥の息子だそう)が、とてもリアリティーあってよかった。
実際のダライラマ14世とはだいぶ印象違う見た目ながらも、凄い伝わる感じで。

kundun
シリアスな感じが、とても印象的でした。

実際のダライラマ14世は
きさくで明るい感じの印象なので、
また違った感じでよかったです。

サントラCDを買った!

映画もよかったし、音楽も凄くよかったのでサントラCDを通販で買いました。
kundun クンドゥン
中古ならメチャ安いです。

以下、アマゾンのサントラCDのページです。

クンドゥンのBGMは、かなり幻想的で重めです。

FXトレードのBGMとしても、謙虚な気持ちを刻み込んでくれそうです。

あと、ダライマラ14世の自伝本も買って読みました。
なかなか興味深かったっす!

近い感じの関連記事

2022年2月10日、東京は大雪がふりました

そして翌日…
カーラチャクラ 雪だるま
次女とご近所友達が雪だるまを。

大雪がふった翌日以降、天気は晴れて雪はすぐに溶けていき。

雪だるまをつくるのって、
ある意味カーラチャクラ的な修行のような気がしました。

雪だるまは溶けてなくなるけど、
雪だるまをつくった時間は永遠に。

コメント

  1. インド、ダラムサラとチベット、行ってみたくなりました。
    コロナが終わったら…

    まぁ、チベット自治区は中国領ですが…

  2. 宗教というか、仏教的な教えは「みんなに救いがあること」を目指す、という感じかなと理解。

    「世を暗黒から救いたまえ」
    「すべてのものが いつか無になる」
    「生きとし生ける者の苦しみが消えることを」

    全部がいつかは無になるから、
    そこに救いがあるように、苦しみが消えて前向きにできるように、という願いが込められている感じ。

    敵も、味方も、自分もすべてを含めたこの世のすべてが救われますように。

    日本は国民が宗教にドップリ浸かった国ではないから、
    (とはいえ、昔から仏教国ではあるけども、現代は薄れてる感じ)
    仏教・神社の神教は身近だけれども、
    それ以外の新興宗教や海外の宗教は身近でなく距離感を感じることもある。

    特に昨今の新興宗教問題(安倍さん銃撃事件からの統一教会問題の再燃、からの政治家の宗教団体関係など)で、特に違和感がでてきてるわけで。


    新興宗教は、
    更に信者・門徒を増やすために布教活動をするのも必要なのはわかる。

    その為のお金が必要で、信者が献金するのも流れとしてはわかる。

    ただそこに、
    「この宗教に入らないと、救われない」
    「いくら以上の献金をしないと、救われない」
    という言い方をすると、途端に脅迫要素が入ってくる。

    (これは、宗教の教え以上に「信者を増やさないといけない」という使命感・義務感にかられての損得勘定からの行為かな、と考える。損得ではなく、道徳の徳を積むのが宗教の考えなはずだが。)
    (宗教団体への過度な献金も、これと同様の意識だと思う。)


    宗教の原点は、その宗教信者以外のものでも、
    すべての「生きとし生ける者の苦しみが消えることを」を願うこと、というのが再確認できる映画ということで。